大熊町の木幡ますみさんの話を聞いてみよう
(木幡ますみさんを大阪に呼ぶ会)
ワークショップ・午前/ 10:00-12:30
場所:701会議室
現在、大熊町から会津若松に避難されている木幡ますみさんは、原発事故後、町民の女性たちと「大熊町の明日を考える女性の会」を立ち上げました(代表は木幡さん)。そして、行政サービスから閉ざされ孤立している住民たちを励まし、団結と連帯していくために、仮設住宅においていち早く情報発信のための手書きの新聞を作り、あちこちの仮設を回り、大熊町の住民たちに配布してきました。さらに町役場や県、国との行政交渉を率先して行い、住民、とりわけ女性たちの声を発信してきました。そうした中から木幡さんは、3月11日の原発事故が何であったのかを鋭く突いています。
現在、会津の仮設住宅からは、収束作業のために原発事故後も福島第一原発に働きに行く人がいます。経済的事情や仕事確保のためであったり、あるいは、自分がやらなければ誰がやるという悲壮な決意から、危険を承知で出かけていく男たちがいるといいいます。木幡さんの目からは、それは、まるで戦地に駆り出された兵士のようでもあり、それを見送る家族は「徴兵」にとられる家族を送り出すようなものだ、と語っておられます。
事故後、木幡さんは、透析を続けていた夫の仁さん(元大熊町町議で、昨秋、帰還なしを前提に町長選に立候補し、善戦したが、現職に敗れた)の容態が悪化したため、移植手術を受け、ご自身の腎臓を夫に提供しました。
中間貯蔵施設や仮の町構想の話など、仮設での生活を余儀なくされている人たちは、どのように考えているのでしょうか。彼女の話から見えるものは、日本のの社会の縮図でもあります。
木幡ますみさんは、会津から大阪までいらっしゃいます。ぜひ皆さん、木幡さんの話を聞いて、考えてみてください。原発事故を経て、私たちはどのように生きたらよいのでしょうか。
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